就活を単数としてとらえている無能学生が失敗するわけで。
乳首の位置が下がってきた。
無能です。
寄る年波を感じます。ダイエットでどうにかなる乳首降下なのかが気になるところです。
僕には兄貴がいまして、現在はガンガンJOKERという雑誌で「賭ケグルイ」というマンガを、原作者として連載しています。
年子なので彼は25歳です。僕と似て老けているので32歳くらいに見えます。
僕もこんなふうに見えているのでしょうか。
悲しい運命を背負った呪われし一族です。
昔から一緒に何かと創作活動をしていたこともあり、いまだによく創作について話します。
そこででてきたことを今日は書きます。
例に漏れず、兄貴も新人賞に応募して、その作品が受賞したことで連載を獲得しています。
当然、初投稿で受賞したわけではなく、何度も複数の賞に応募した結果、そのうちの1つが審査員の編集者さんの目に留まったわけです。
兄貴の「賭ケグルイ」、ギャンブルが公然と行われ、それによって人間としての階級が決定する高校が舞台となっており、主人公は転校してきたギャンブル狂の美少女、という概要です
そこまで珍しい設定ではなくとも、少なくともありふれたものではありません。
他にも特徴があり、出てくるキャラクターがギャンブルの要所で顔芸をぶちかまします。
キャラが負けこんできたりすると、作画の尚村先生の抜群の画力で、それはもう目も当てられないひどい有様になります。
思春期の子供がこれを読んでいるのを親が見たら、いろんなことが心配になるでしょう。
出てくるキャラクターの多くが美少女ですので、その優れた形状がぶっ壊れる様子にドキドキする読者もいらっしゃるそう。
要は兄貴の趣味が爆発しており、弟としては恥の塊が商業誌に掲載されているわけで、母親も毎晩泣いております。
まぁ、それでも中学時代に夜な夜なギャルゲーをやり込んで勉強もせず、友達もおらず、反抗期だったのか家で暴れていた、金八先生の「引きこもりのケンジロウの兄貴」状態だったことを思えば、これもありでしょう。
(このネタわかる人がいまどのくらいいるでしょうか。部屋に重なるカップラーメンの上をゴキブリが這うカットをいまも痛烈に記憶しています)
参考画像
無能学生のアナタに何が言いたいかというと、
無難が良い結果をもたらすのは点数の世界だけ
ということです。
兄貴は新人賞を取る際、当たり前ですが、どうやれば賞がとれるかを考えてマンガを描いていました。
何十、何百と応募作があるなかで、輝く必要があるわけです。
ではそこで
ある村に腹を空かせた放浪者が訪れ、村人が厚意から飯をたらふく食わせ、すると村には定期的に山賊が襲撃に来ていて、主人公が御礼に山賊を退治し、名前も語らずに去っていくなんていう話を描いて、受賞する可能性がどれだけあるのか
という話です。
つまんねーッ!
どう転んでもおもしろくねーッ!
無難な設定や物語って、それだけ同質のものが多いってことですしね。
逆張りが必ずしも必要ではありませんが、少なくとも無難を狙った表現で、他人の心の琴線に触れることはできないはずです。
漫画家には編集担当さんがいらっしゃいますが、そこにある無難な作品を個人の感覚として「担当したい!」と思うことがあるでしょうか。マンガ業界に詳しいわけではないので、知ったかぶりをするつもりは毛頭ありませんが、容易に想像できるはずです。
個人としてその作品を気に入った人が、周囲の説得などを通して、その作品や作者を押し上げていくわけです。
絶対的な点数をつけられない世界では、それが通例でしょう。
受賞するマンガは、総じて50点60点のマンガではなく、多数には2点でも人によっては90点のマンガでしょう。
「おもしろい」と言われるマンガもそういったものであるはずです。
就活に置き換えて考えます。
就活は筆記試験を除き、点数では語れない世界です。
そして人対人で就活は成り立っているわけですから、面接やグループワーク・グループディスカッションといった選考が消えることはありません。少なくともそれが多数派になることは未来永劫ありません。
これを覚えてください。
就活を一つの個体として考えると就活生はとたんに臆病になる
僕は果物のなかで梨がいちばん好きです。
好きすぎて梨イーターを自称しており、梨だけなら一日に10個くらいは気分よく消費できます。
その僕に対して「この梨を食べたら、むこう5年食べられない」という状況を突きつけたら、仮に僕の命の恩人がいたとしても梨を差し出すことはないでしょう。
どんなに愛する人が梨を欲しがっても、僕はその人を押しのけ、はねのけ、卍固めからのスクリュードライバー、ハートブレイクショットまでかまして死守するでしょう。
そして皮を誰の敏感部分を触るよりも丁寧を極めた処理をし、別れの涙で味付けされた梨を心して食べることでしょう。
それくらい「一つしかない」という状態は恐ろしいのです。しかも就活では人生がかかっています。
就活は単数でなく、複数から成り立ちます。
忘れないでください。
就活という言葉を前にして一般的な就活生は「一つしかないもの」「一回しかできないもの」、ひいては「失敗してはいけないもの」「取り返しがつかないもの」として受け取ります。
しかし、実際には就活は企業の数だけ存在します。
時間と労力(そして人によっては財力)が続く限り何度でも挑戦でき、そして失敗できるものです。
つまり何が言いたいかというと
無難の先ではなく、試すこと、そして一部の人のなかで輝こうとすることの先に内定があるのです。
何度も言ってきていることですが、無能学生の無難な自己PRや無難な面接は絶対に避けなければいけません。それこそ辞職を前提にした大量採用の「50点以上は全員合格」という内定しかありません。
本人が除く就職先に貴賤はありませんが、その「50点以上は合格」の内定を、アナタは欲しいのでしょうか。
(無能学生が実績をつくるための内定としての価値はあります)
数が少なくても、道は困難でも、「90点以上は合格」の内定が欲しいのではないでしょうか。
だからこそ、無能学生の無難な選択のほとんどは間違いなのです。
できるだけ多くの企業を受験し、90点以上を出してくれる会社に出会えるまでがんばることが無能学生の正解です。
点数の世界ではない就活では、それが可能なのです。
とかく感覚的に語られる就活という世界を論理的に考えれば、そのチャンスは誰にでもあります。
試してみたいこと、やるのに勇気が必要なことがもしあるなら、必ず実行してください。
それを繰り返し、自分で考えることが内定をもたらします。
ではでは。
無能でした。
この前、会社の人と遊ぶ機会があって、インディアンポーカーというゲーム(自分のカードが見えない状態で他人のカードだけみて数の大小で勝負する)をやって、調子こいて罰ゲームで焼酎を飲むことを提案したら、案の定負けまくって焼酎飲みまくって死ぬかと思いました。
下戸のやるゲームではありませんでした。
運命って、おもしろいですね。
※一気飲み、ダメぜったい